2015年12月11日

フジテレビがついに「敗北宣言」!亀山社長よ、いまこそ1993年の黄金期に学べ

■はじめて「負け」を認めた亀山社長
長らくテレビ界の覇者として君臨したフジテレビが11月27日、事実上の「敗北宣言」を出した。視聴率低下で2015年度上期(4月〜9月)の営業利益が約10億円の赤字になったことを受け、同日の定例会見で亀山千広社長(59)が負けを認めたのだ。

「もう一度自分たちがフジテレビのイメージをゼロからの変えていくという気持ちでいくべきだと思う」
「負けているときにやれることは構造改革と意識改革」(毎日新聞デジタル11月27日付より)

フジがここまではっきりと負けを認めたのははじめてのことだろう。

企業もスポーツチームも負けを自覚しないと強くはなれない。敗因の分析や再生策が考えられない。今回、負けを認めたのは、フジにとっても良かったのではないか。

これまでのフジは負けの意識を封殺し続け、ずるずると後退してしまった気がする。大きく変わらなければならなかったのに、その場しのぎの対症療法しか施されていなかったように思う。負けを認めたことで、亀山社長の目指す構造改革と意識改革が図りやすくなった気がする。

かつて日本テレビも負けを自覚して強くなった。日テレは現在、視聴率レースでトップを独走するが、80年代前半から90年代前半はフジに負けっぱなしだった。そこで日テレは、フジの強さを知るために、その放送内容を徹底的に研究した。

番組をチェックしただけではない。フジの放送を24時間録画し、CMを入れるタイミングまでつぶさに調べあげた。70年代までの日テレにとって、フジは明らかに格下の存在だったから、この研究は屈辱だっただろう。当時の日テレは先発局(放送エリアで最初に開局したテレビ局)のプライドをかなぐり捨てた。

誤解されると困るが、日テレはフジの模倣を考えていたわけではない。マネでは勝てない。フジが視聴者に支持される理由を見極めようとしたのだ。

結果、日テレは『マジカル頭脳パワー!!』(91年〜)や『家なき子』(94年)など、フジとは違った特色あるヒット番組を生む。94年には視聴率3冠王を奪取。フライングスタート(他局の番組より数分早く番組を開始すること)などの新たな戦術も編み出した。

■“新しさ”はどこへ行ってしまったのか
今回はフジが負けを自覚したが、そもそもフジが真に強かった時代は82年から93年までだったのではないか。12年連続で視聴率3冠王を取り続け、85年には日航機墜落現場からの生中継という世紀の大スクープも成し遂げた。

94年以降も日テレとトップの座を争いながら2位を維持し、04年から10年までは再び連続3冠王を得たが、単に日テレとの視聴率争いに勝っただけのような気がする。相対的な強さに過ぎなかったのではないか。

なぜなら、まず2000年代以降のドラマは続編やリメイクが目立ち過ぎた。『救命病棟24時』、『医龍』、『ショムニ』・・・。新作ばかりで勝負した93年までの強さとは異質に映った。

制作陣には申し訳ないが、続編やリメイクが相次いで放送されると、いくらクオリティの高い作品をつくり、合格水準以上の視聴率を得ようが、進取のイメージを損ねてしまう。

「新しさ」こそが、93年までのフジの売り物だっただけに、2000年代以降は看板に傷を付けながらの勝利だったのではないか。少なくとも視聴者の深層心理に与える印象面ではマイナスだったと思う。

ライバル局では2000年代以降に『家政婦のミタ』(日テレ、2011年)、『半沢直樹 DVD』(TBS、2013年)などの新作が大当たり。社会現象化した。だが、フジのドラマはそこまでには至らなかった。新聞・雑誌は社会現象化した新作ドラマを集中的に活字にするから、フジは企業PRの面でも遅れを取ったはずだ。

バラエティーに関しても同じことが言える。たとえば、フジ黄金時代の突破口となったお笑い番組『THE MANZAI』(80年)をフジ自身が振り返るとき、「(出演者は)キャリアよりも新しさを重視し、若い世代をターゲットにした既成概念に囚われない発想で一大ムーブメントに」(フジHP、11月15日)と説明する。

だが、現在のバラエティーはどうだろう? 少なからぬ番組が、内容も出演陣も固定化してしまっているのではないか。結局、ドラマもバラエティーも90年代までと大きな差違がないように見えてしまう。

■かつてのフジが強かったワケ
では、82年から93年のフジは、なぜ強かったのだろう?

やはり、負けを自覚したからだと思う。70年代後半のフジは今とは比べものにならないほどの苦境に陥っていた。日テレ、TBSに負けっぱなしだった。

当時のフジは、保守派財界人の故・鹿内信隆氏が絶対的トップとして君臨。社内の労働組合を不当労働行為としか言いようがない手段で締め付けていた。優秀であろうが、組合員は虐げられた。

その上、経費削減のためにニュースとワイドショーを除いた制作部門を子会社化してしまう。このため、組織力は著しく低下。他局と戦うどころではなかった。

どん底状態だった80年、鹿内信隆氏は長男の故・春雄氏を代表権のある副社長に就任させる。免許事業であるにもかかわらず、経営権を世襲させるという異様な体制を敷いた。

フジの不振は一層深刻化すると思われたが、春雄氏は現場に権限を委ねる。当時の春雄氏はテレビ未経験者だった上に、30代半ばと若かったので、そうするしかなかったのだろう。制作を請け負わせていた子会社もフジ本体に組み込んだ。

これが功を奏し、フジは強くなる。権限を委ねられた社員たちが生き生きと働き始め、新しい番組を次々と創造した。社員になった子会社の人たちも発憤した。

「楽しくなければテレビじゃない」という新スローガンも打ち出され、日テレ、TBSを倒すために結束した。新体制の実質的な舵取り役は、当時の編成局長で現在は会長の日枝久氏(77)だった。

当時のフジは物づくりの職場として理想的な環境にあった気がする。大卒社員、高卒社員、元子会社の社員たちが、お互いに良い意味でのライバル関係にあった。それぞれが個性的でもあった。負けっぱなしだった日テレとTBSを倒すという共通の目標もあった。

子会社出身の社員が中心になって立ち上げられた番組が、『オレたちひょうきん族』(81年〜89年)や『笑っていいとも!』(82年〜2014年)である。どちらも型破りの内容で、おそらくエリートだけではつくれなかっただろう。逆に、当時の日テレとTBSはエリート集団としか言いようがなかった。

■鹿内家支配の「負の遺産」を払拭できるか
ところが、フジは再び弱くなってしまう。その理由も鹿内家。88年に春雄氏が急逝すると、信隆氏にとって女婿にあたる宏明氏(70)が次の支配者になった。宏明氏もテレビ未経験者だったが、春雄氏とは違い、現場をコントロールしようとした。

これではうまくいくはずがない。結果、大混乱状態に陥り、最後は91年のお家騒動に発展してしまう。権力の座を守ろうとする宏明氏と、会社を守ろうとする社員たちが激突したのだ。

フジが日テレに3冠王を奪われたのは94年。負けて発憤した日テレが強くなったためだが、フジが宏明氏を追放するためにかなりのエネルギーを割いてしまったことも一因だろう。

フジは宏明氏追放に成功し、鹿内家支配を終焉させたが、かなり消耗したはずだ。鹿内家に力を削がれたなどとは意地でも言いたくないだろうが、この時期から勢いの衰えが始まっていた気がしてならない。

2005年には堀江貴文氏(43)らに事実上の乗っ取りを図られた。この争いでもフジはかなり消耗している。大きな傷を負った。そのダメージはフジ自身の認識以上だろう。

これも鹿内家支配が起因する騒動だった。鹿内家がグループ会社のニッポン放送をフジの持ち株会社的に扱っていたため、その特殊な形態の欠陥を突かれた。

しかし、なにより大きい鹿内家支配の負の遺産は、97年の社屋移転だ。新宿区河田町から現在の港区台場へ移ったのだが、これも70年代後半から80年代前半かけて鹿内家が決定したこと。鹿内家は保守系政治家との結び付きの強かったため、移転の背景にも台場地区開発の政治的思惑があったようだ。

台場への移転は大きな痛手にほかならない。他局や制作会社の人は、「あそこで番組をつくるのは厳しい」と口をそろえる。

観光地として人気になるくらいだから、景観は美しいが、新宿からフジ社屋までは電車で約45分。社員も出演者も移動が面倒であるのはもちろん、テレビマンとして庶民感覚を共有しなくてはならない社員たちが、街から遠のいてしまった。

河田町に社屋があったころのフジ社員の“シマ”は新宿。ゴールデン街等の安酒場で議論する社員をよく見掛けた。もっとも庶民的なテレビ局だったので、社員たちの多くは、まるでベテランのフリーターのように見えた。赤坂がシマで、エリートぞろいで高給のTBS社員とは好対照だった。

ところが、移転から20年近くが過ぎた今のフジの社員たちは、随分とソフィスティケートされたように見える。猥雑な要素が欠片もない台場に移転した上に、社員が有名大卒のエリートだらけになったからだろう。給与水準もTBSを上まわって久しい。さまざまな経歴の社員が混在していた河田町時代とはまるで違う。

やはりテレビ局には猥雑さも必要だと思う。多くの人が集まる街には高級レストランばかりではなく、赤提灯もある。名物オヤジが客を引き寄せる小さな店もある。テレビ局も同じであるべきだという気がする。

また、エリートだらけの集団がつくった番組は、面白みに欠けてしまう気がしてならない。計算が透けて見えてしまうし、庶民の素朴な思いが反映されにくいからだろう。

そもそもフジはアンチ・エリートだったから強かったのだ。喜怒哀楽を庶民と共有しようとしていた河田町時代のスピリッツを、いまこそ思い出すべきではないか。

鹿内家との争いによる消耗はやむを得なかったのだろうし、台場から都心部への再移転も現実的ではない。しかし、かつてのアイデンティティを取り戻すことは出来るはずだ。  


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2015年12月10日

「ワカコ酒」韓国版も制作決定! 武田梨奈の特別出演も

新久千映原作、武田梨奈主演のドラマ「ワカコ酒 Season2」(毎週金曜夜11:30-0:00、BSジャパン)が、'16年1月8日(金)から放送される。この「ワカコ酒」が韓国でもドラマ化されることが決定した。

韓国版のタイトルは「私に乾杯〜ヨジュの酒(原題)」。

原作は主人公がさまざまな店で一人酒を楽しむ様子が描かれているが、韓国では“女性が一人でお酒を飲む”という習慣が無いため、韓国版ドラマは「今夜は仕事の後に誰にも気を使わず自分だけのぜいたくな時間を」という、新たなライフスタイルを提案するコンセプトで制作された。

主人公・ヨジュ役は、「匂いを見る少女 DVD」などに出演した実力派女優、ユン・ジンソ。なお、第1話には武田が特別出演する。  


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